〔約1500文字|読了の目安:3分〕
3DCGソフトのサポートにバグを報告すると「ご不便をお掛けして申し訳ございません」と言われるのだが、3DCGソフトくらい巨大なソフトになるとバグがないということはあり得ないのだから、謝る必要はないと思う。
こんなに簡単に謝るのは、本当は悪いと思っていないからだと思う。
人間というのは、悪いと思っていないときはすぐ謝るが、本当に悪いときはなかなか謝らないものだ。
悪くないのに謝る
悪くないのに謝る例はこれだ。
「かまいたちの夜」リメイク版に不満続出、イラストレーターが「申し訳ない」と謝罪する事態に 「あなたは悪くない」という声も
リメイク版の『かまいたちの夜』で、シルエットを止めてイラストにしたところ不評だった。するとイラストレーターが謝った。
ここで不評なのは「シルエットを止めてイラストにする」という「判断」であって、イラスト自体の出来ではない。謝るならプロデューサーなりディレクターなりの筈だ。まるで見当違いの謝罪だ。
ではイラストレーターはなぜ謝ったのか。そうすることで、今回の件を逆に利用し、自分は真摯な人物であるとアピールし、自分は真摯なのだから今回の件についてはまったく悪くない、悪いのは他の奴らです、と印象づけるためだ。この人は「あなたは悪くないよ」と言って欲しかったのだ。
また、テレビアニメ『サイコパス』の監督が、世間で残虐事件が起きたことを受けて放映中止になったときに「自分の責任です」と謝ったことがある。
当然ながら「監督は悪くありませんよ」というコメントが寄せられている。この人は、こういうコメントが寄せられることを見越してこんな発言をしたのだろう。
そうすることで「自分は望ましくない事態が起きたことに対して責任を感じている責任感のある人間です」とアピールしたかっただけだ。でなければ謝る理由がない。
悪くないのに軽々しく謝るのは、ただのパフォーマンスに過ぎない。本人も相手も、本当は悪いなんて思っていない。
謝ることで自分の真摯さをアピールし、ひいては真摯な自分の言うことは正しいと暗に主張するレトリック* だ。
*:一般的には修辞法(文章に豊かな表現を与える技法。比喩など)のことだが、論理について語る場合には、論理を誤魔化すための手法、弁論術、印象を操作する方法を指す。
適度な謝罪であれば、人間関係の潤滑油になる。例えば、忙しいときに仕事を依頼された場合に「すいません、今は余裕がないのでお請けできません」と言うように。
だが度が過ぎると「本当は悪いなんて思ってないくせに」と怒りを買う。
悪いのに謝らない
本当に悪いのに謝らない例はたくさんある。
- アドビの個人情報流出。ユーザーに迷惑をかけたのに謝っていない
- また、プレミアエレメンツ3あたりに致命的なバグがあるのに次のバージョンが出たためサポートが終わっていたことがあった。そのとき「これはバグか仕様か?」と質問したら、答えなかった
- スタジオジブリは『千と千尋の神隠し』の赤い不良品DVDの件を認めず、謝っていない
- 政治家が失言した際の謝罪文句は「誤解を与えたとしたら申し訳ない」が定番だが、これは誤解した方が問題であって本来の自分の意図は悪くない、という言い逃れで、謝罪になっていない
本当に悪い場合というのは、自分の過失が重大で、それを認めると自尊心が大きく傷ついたり、責任が取りきれなかったりする。だからなかなか謝れない。公害を起こした企業が必ず訴訟を起こされるのはそのためだ。
悪くないときに謝る人はたくさんいるが、本当に悪いときに素直に謝れる人は滅多にいない。
※2016/11/19 加筆修正
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