ヘアドネーションは偏見を助長しない

2023/05/16

社会

 ヘアドネーションを行っているJHD&C(ジャーダック)の渡辺貴一氏が、ヘアドネーションが偏見を助長すると主張している。
 どういうことかというと、かつらを寄付することで「かつらが必要だという無意識の押しつけになっている」というのである。

https://laundrybox.jp/magazine/hair-iikoto/
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_633f7364e4b04cf8f36bffc5

 一見それらしいが、変な主張だ。これは化粧品を販売したら「化粧をしなければならないという無意識の押しつけになる」と言っているに等しい。

子供がかつらを欲しがる原因

 まず、かつらを寄付することで「かつらが必要」という無意識の押しつけになっている、という主張は本当だろうか。
 これが正しいのであれば、かつらの寄付を止めれば子供はかつらを欲しがらなくなる筈だ。しかし、かつらの寄付を始める前から子供はかつらを欲していた筈だ(でなければ寄付はしない)。だからかつらの寄付は、子供がかつらを欲する一因ではあっても、主要因ではない。

 子供がなぜかつらを欲するかといえば、子供には普通髪の毛があるため、それと比較して髪がないことが恥ずかしいからだ。これが中年以降の男性であれば、禿げは珍しくないからさほど恥ずかしくない。女性であれば中年以降でも禿げは珍しいから、やはり恥ずかしく、かつらや帽子で隠そうとする(抗がん剤治療中の人のためのかつらがある)
 禿げを恥ずかしいと思うかどうかは、周囲の人に比べて珍しいかどうかで決まる。禿げている子供は極めて少ないため、禿げを恥ずかしく感じる心理が強く働く。
 また子供は自我が確立しておらず同調圧力に弱いため、他人と違うことをより強く気にしてしまう。

 だからかつらの寄付を止めても、子供がかつらを欲しがることは変わらない。

偏見を助長するのか

 渡辺氏は「子供は元々かつらを欲するが、かつらを寄付することがそれをより助長する」と主張したいのかもしれない。
 しかしどの程度助長するのか、確たる根拠はない。かつらを寄付する前は禿げでも平気だった子供が、寄付後はかつらを欲しがった、という事例でなければ助長したとはいえない。そんな事例がどれくらいあるのか疑問だ。

 また、かつらを寄付することが「かつらが必要だという無意識の押しつけになっている」と主張するのであれば、それは最初に挙げた化粧品の例のように、世の中のいろんなことに当てはまる。
 おしゃれな服を販売すれば「おしゃれな服装をしなければならない」、脱毛の広告を出せば「脱毛しなければならない」という無意識の押しつけになるといえる。

 もちろん、かつらの寄付は子供に影響を与える。「もらえるならもらおう」と考える子供もいるだろう。
 しかし人間は社会の中で、化粧品や脱毛のように、あらゆるものから影響を受けて生活している。かつらはその中の一つに過ぎない。
 問題はそれが軽微か、過度な悪影響かだ。かつらが無意識の押しつけになる影響は軽微なものだろう。先に書いたように、かつら自体よりも、髪の毛が生えている同年代の子供の影響の方がはるかに大きいと思われるからだ。

理想社会はすぐには来ない

 渡辺氏は無意識の偏見があると指摘した上で「無意識の差別をなくし、必ずしもかつらを必要としない社会を目指す」、つまり禿げたままでも平気で暮らせる社会を、と主張している。

 これは正論である。だが問題は、どうすればそのような社会が来るのか、渡辺氏は何も示していないし、来るとしてもすぐには来ないということだ。

 例えばアイドルや女子アナのように、女性は美しい方が人目を引く。そのため化粧・美容市場は巨大産業になっている。しかしこれは容姿の劣る女性には差別になり得る。
 そこで容姿による差別をなくし、不美人な女性が化粧も美容もしないままに他の女性と同等に評価される社会を今すぐ作れるか、というと無理だ。美しさ・化粧・美容は人間の本能に基づき、長年の歴史がある行為だからだ。

 子供が禿げでも恥ずかしくない社会も同様だ。そうであれば、かつらを被って一時的に凌ぐ方が楽な場合もある。
 本質的な改善が難しい場合は、対処療法が効果的な場合もあるのだ。
 渡辺氏の主張は理想論であり、現実的ではない。

 子供が禿げでも恥ずかしくない社会を目指すなら、周囲の人が髪を剃って禿げ頭にするのが一番効果的だろう。

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