アニマルライツセンターなどの動物愛護団体が、たまに動物愛護にフェミニズムを混ぜた主張をすることがある。しかし、この主張には十分な根拠がない。それを以下に見ていく。
アニマルライツセンターの主張
アニマルライツセンターの主張は以下の通りだ。
アニマルライツチャンネル vol36[人と動物のジェンダー]
> 工場畜産では、女性の動物が搾取されがちです。採卵鶏は1日目に殺される男性よりもその後2年~3年を不毛なケージの中で搾取され続ける女性の苦しみのほうが大きく”死んだほうがマシ”だと分析されます
> 動物の運動に携わる人の多くが女性である
> 人間も、より搾取されやすいのは女性であり、動物に共感を持ちアニマルウェルフェアを理解したり畜産物消費量が少なくなりやすいのも女性
論点を整理するとこうなる。
A. 1日目に殺されるオスより、2~3年をケージで過ごすメスの方が苦しみが大きい
B. 動物の運動に携わる人の多くが女性だから、動物の問題とジェンダーは関連がある
C. 動物と同様に、人間の女性も搾取されやすい
この論点を以下に見ていく。
A. 1日目に殺されるオスより、2~3年をケージで過ごすメスの方が苦しみが大きい
これは正しいだろうか。両方の境遇を整理するとこうなる。
オス:孵化 → 1日 → 殺処分
メス:孵化 → ケージで2~3年 → 殺処分
殺処分の苦しみは同じとすると、「1日生きる」ことと、「ケージで2~3年生きる」ことのどちらが苦しいのかという問題になる。
ケージは確かに狭くて不衛生だ。そのケージで2~3年生きるより1日で死んだ方がマシというのは、「苦しむくらいなら即座に死んだ方がマシ」ということだ。
しかし「生まれてすぐに殺されるのは残酷だ」「生まれたからには劣悪な環境でも生きながらえた方がいい」という考え方もある。
これはどちらも他人による主観的な判断であり、どちらが鶏にとって良いことなのか、鶏の立場に立った判断は困難だ。
また「苦しむより死んだ方がマシ」は、安楽死と同じ考え方だ。
例えば、重い障害を持って生まれた子供はその後苦しみを抱えるから殺した方がいいという考えと同じになる。しかしこれをすれば、日本だけでなくほとんどの国で殺人になる。現代の倫理感にはそぐわない。
「苦しむくらいなら死んだ方がマシ」は、一つの考え方としてはあり得るが、正しいとは言い切れない。
B. 動物の運動に携わる人の多くが女性だから、動物の問題とジェンダーは関連がある
これは問題が2点ある。
①まずこれは事実なのだろうか。動物の運動に携わる人は女性が多いというデータはどこにあるのだろう。また、多いといっても60%なのか90%なのかで意味は変わってくる。
②仮にそうだとしても、因果関係と相関関係の混同だ。
女性が多いのは動物の運動がジェンダーと関連があるからだとは断定できない。別の原因かもしれない。例えば、男性は働いているため、平日に運動ができるのは女性が多いのかもしれない。
PTAに参加しているのはほとんど母親だから、教育に関心が高いのは母親だとはならないだろう。性別が偏るとき、その原因はいろいろと考えられる。どれが要因なのかは不明だ。
C. 動物と同様に、人間の女性も搾取されやすい
これは漠然とし過ぎていて検証不能だ。
命の危険に晒される兵士の大半が男性、労働災害の大半も男性、これらは搾取ではないのだろうか。
またよくいわれることで、主観的なものなので信頼性は低いが、幸福度調査では日本の女性は男性より上だ。
> 動物に共感を持ちアニマルウェルフェアを理解したり畜産物消費量が少なくなりやすいのも女性
これも根拠が不明だ。女性のファッションには毛皮やワニ皮があるし、多くの化粧品は動物実験が行われている。
結論
動物愛護とジェンダーに関連があるとする主張には、十分な根拠が示されていない。アニマルライツセンターはフェミニズムの立場から両者を結びつけようとしているようだが、裏づけのない主張は説得力を損ないかねない。
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