『葬送のフリーレン』 第1巻 批評

2026/04/30

批評

〔約1800文字|読了の目安:3.6分〕

注:これは1巻のみの批評であり、2巻以降の展開は考慮していません

構成・つかみ

 冒頭で読者をつかむために計算されている。
 第1話で50年の時を飛ばして舞台設定の説明を済ませ、第2話で現在の旅の始まりを説明している。説明のため、第1,2話はページ数も増えている。
 人気が出たのは、このつかみが成功したのが一因だろう。

「魔王討伐後の世界」という設定は、誰でも知っているファンタジーRPGの世界から半分抜け出した設定だ。
 これにより、誰でもすんなり入れつつ、他の作品と差別化できている。

 ただし、第3話以降は地味な話が続く。
 これでも読者がついて来たのは、第1,2話でつかみに成功したからか。

ヒンメルが勇者らしくない

 問題は、勇者ヒンメルが勇者らしく見えないこと、なぜ尊敬されるのかわからないことだ。勇者らしい点がほとんど描かれていないからだ。

 そもそも「勇者」は「魔法使い」「僧侶」などに比べて、肩書として曖昧だ。
 これは「ドラクエ3」が主人公に権威を持たせるために、単なる「戦士」ではなく「勇者」と呼んだのが始まりだろう。魔王を倒す前から「勇者」と呼ばれるのはややおかしいのだが、これはゲームの特性上、許容されていた。
 だが『葬送のフリーレン』は、そのゲームのお約束事をそのまま流用しているように見える。「勇者」という肩書があればそれは勇者なのだ、という強引で非現実的な設定にしてしまっているように見える。ある程度リアルなファンタジー漫画では、これは不自然で説得力に欠ける。

「勇者」と呼ばれる理由は、素直に受け取れば「パーティを導いて魔王を倒したリーダー」ということになるだろうが、ヒンメルはキザな若造として描かれていて、リーダーらしさがない。パーティの中でなぜ彼だけが「勇者」と呼ばれるのかがわからない。

 これは、第1,2話でつかみのために魔王討伐の説明を省いたことも一因だろう。
 このため、ヒンメルの軌跡を辿るフリーレンの旅も軽く見えてしまう。

非現実的・ご都合主義

 第3話で、何十年も前に絶滅した蒼月草を探す。見つけられる可能性は極めて低い筈だが、たまたま見つかる。

 この作品にはこのようなご都合主義がいくつも見られる。だが、これは単にこの作品が卑怯だとかいう話ではないと思う。
 おそらく作者は意図的にこのような展開にしている。それにより、この作品は「現実性は求めておらず、『ちょっといい話』で読者を癒すために描かれているんですよ」と宣言しているのだろう。

 他にも以下のようなご都合主義がある。

●フェルンに魔法の才能がある
 従者となる元孤児であるフェルンは生活のために魔法の修行を始め、常人なら10年かかる魔法の道を4年で越える。才能は誰にでもあるものではなく、それだけの才能があったのは偶然の要素が大きい。

●広い部屋
 作中に出てくる家や宿の部屋は、おそらく実際の中世に比べると広く快適に描かれている。これを現実的に描くと、狭く汚く、不快になってしまう。

●悠々自適のフリーレン
 大してお金を稼がずに冒険が続けられるフリーレンたちは特権階級にも見える。
 英雄であることと魔法能力の高さで楽に稼げてるなら、十分お金を稼いだ人のお気楽な余生にも見える。

 読者はこれらのご都合主義を受け入れる。作者と読者の間で、この作品の現実性を「非現実的な位置に設定する」という契約を交わしたのだ。それにより、読者に心地よさを提供し、他の描きたいことに集中できる。
 意図的な設計である以上、これは作品の欠点とはいえない。

 この作品は、このようにご都合主義による「ちょっといい話」で読者を癒すことを目的としている。現実的ではないし、深い葛藤も苦悩もない。
 それが疲れた現代人に受けているのだろう。

最初しか葬送していない

〈ここのみ、2巻以降の展開を予測した内容になっています〉

 私は最初、この作品は長寿のエルフが何百年と生き、周りの人間が歳を取って死に、どんどん入れ替わっていく、仲間が死ぬのを何度も見送っていく(葬送していく)話かと思っていた。
 でも最新刊(15巻)の表紙に1巻の従者(フェルン)がいるみたいなので、そうではないらしい。

 この作品のテーマが本当に「葬送」――エルフと人間の残酷な時間の流れの違い、であるなら、従者も年老いて死んで交代すべきだ。
 だが、人気キャラクターが入れ替わると、キャラ人気で持っている少年漫画には致命的な不評になる恐れがある。そのため、そうしなかったのだろう。

「時間の残酷さ」というテーマを掲げたと思われたのに、作品の人気を守るために時間を止めた、という皮肉な形になってしまった。

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