〔約4500文字|読了の目安:9分〕
- リスナーはVTuberから承認を得るためにスパチャなどの競争をする
- VTuberは多数のリスナーの承認(支持)を得るために競争をする
- VTuberとリスナーは非対称な関係である
ということを書いてきた。
だがVTuberとリスナーの関係は、単にキャバクラ的なだけではなく、もっと心理的に複雑な仕組みを持っている。そのことを以下に書いていく。
〈目次〉
より巧みなキャバクラ型モデル
健全な関係とは
VTuberとリスナーの関係が辿る過程
VTuberの承認の正体
より巧みなキャバクラ型モデル
「応援とお礼」という建前
キャバクラとVTuberは似てるといっても、以下の点が異なる。
●キャバクラ
・代金への対価として、客の話を聞くサービスを提供する
・キャバ嬢と客はお金によって繋がっている。役割が明確
・店まで行くハードルがあるため、そう頻繁には行かない
●VTuber
・建前上、スパチャは「応援」であり、VTuberは「お礼」としてそれを読む(代金への対価ではないとされる)
・消費者は「リスナー」であって、「客」とはされない
・基本的に無料であり、「お金」ではなく「親密さ」によってリスナーと繋がっているという建前がある
・週数回という頻度で手軽に会えるため、リスナーの日常に組み込まれる
トップクラス以外のVTuberは露骨に商売ではないが、 それでも活動のためにお金を回収しなければならない。そのためにスパチャを読み、貢献者に感謝し、承認を与える。
しかしこうなると、これは実質的にキャバ嬢がやっていることと同様の、代金に対するサービスと変わらない。つまり、実質的にリスナーは客と変わらなくなる。
しかしながら、VTuberとリスナーがお金の関係だとなると、強い承認を与える上で都合が悪い。承認がお金の対価だとなってしまうと、お金に対して承認していることになり、相手自身を承認していることにはならなくなってしまうからだ。VTuberは「お金ではなく親密さで繋がっている」という建前を外すわけにはいかない。
そのため、お金を受け取りながらも、それは「料金」ではなく「応援」であり、見返りは「サービスの提供」ではなく「お礼」であり、「客」ではなく「リスナー」と呼び続ける。
VTuberもリスナーも、お金の関係ではなく「親密さ」で繋がっていると糊塗し、そう思い込む。キャバクラが擬似的な承認の場だとしたら、VTuberはそれ以上に巧妙な擬似的な承認の場なのだ。
やっかいなのが、VTuber側が「サービスを受けるならお金を払え」とは強要していないということだ。あくまでリスナーが自発的に払っているという体なため、「応援」だと言い張れる。
しかし実際にはリスナーにお金を払わせる力学が潜んでいる。
「リスナー」というおかしな名称
元々「リスナー」という言葉は「Listener」つまり「聞く人」であり、ラジオの聴取者を指す言葉だ。VTuberは映像があるにもかかわらず、なぜか「リスナー」という言葉が定着した。
ラジオの金銭の流れは広告主から局へであり、リスナーは基本的にお金は支払わない。しかしVTuberのリスナーは直接お金を払う。
この点でも大きく異なるのに、なぜか同じ言葉を使っている。
これは、VTuberが実態としてキャバクラ的な金銭の授受構造を持ちながら、ラジオ的な親しみや距離感を持っているように装うという、名前と実態の乖離を隠蔽するためだろう。
新興宗教との類似点
当初は無償で距離を縮めて承認を与え、後に金銭を要求する手法という点では、新興宗教に似ている。
モノやサービスを販売する一般的な商売では、客が何を買うかが明確になっている。
新興宗教のような信者に承認を与える仕組みがそれと異なるのは、信者は何を得たかが曖昧で、また信者同士の競争もあり、足りないと思えば延々とお金をつぎ込む羽目になってしまうことだ。
VTuberがリスナーに与える承認も恣意的な部分(VTuberの気分、リスナーに対する好みなど)があり、またスパチャのような競争の要素もある。リスナーはそれに振り回され、お金をつぎ込んでしまう。
健全な関係とは
承認にお金を出さない
VTuberや新興宗教やホストの色恋営業のように、「承認」という不確かなものに金銭が絡むと、いくらお金を出せば十分なのかが不明確になり、不健全の原因になる。
モノやサービスに対価を払うという明朗会計であれば問題が起きづらい。
例えば、本やグッズを買う、イベントに行くなどは、モノやサービスの対価として料金を支払うので、それ以上のもの(承認)は求めない。
寄付やクラウドファンディングは、目的や見返りが明確だから問題にならない。だから承認欲求と結びつかない。
健全でありたいなら、承認が絡むものにはお金を出さないことだ。
ネームプレートとの違い
病院や福祉施設では、寄付者の名前がネームプレートなどで飾られることがある。これは記名の寄付となり、その点ではスパチャと同じだ。しかしこの2つにはこのような違いがある。
●組織と個人という違い
病院や福祉施設は「組織」という非人格的な存在であり、寄付者との個人的な関係は生まれない。
VTuberは「個人」であり、寄付者との個人的な関係が生まれる。
●親密さがあるかどうか
組織は感情的な親密さを返す存在ではないため、寄付者が承認や感情的つながりを求める余地は少ない。
VTuberは普段から「いつも来てくれてありがとう」「スパチャありがとう!」「○○さん」と名前を呼ぶなど、感情や親密さを演出している。
個人的な親密さがある関係でお金を送ると、他のリスナーよりも親密さを高める効果を期待してしまう。そしてスパチャは承認の対価になってしまう。
VTuberとリスナーの関係が辿る過程
VTuberとリスナーの関係が辿る過程をまとめると以下のようになる。
VTuber①:「誰かに見て欲しい」「受け入れられたい」という承認欲求を満たすためにVTuberになる
VTuber②:リスナーが来てくれることで承認欲求を満たせる → うれしい
リスナー①:リスナーもVTuberに認識されて承認欲求が満たせる → うれしい
VTuber③:お金を得て安定した活動をしたい。もっとリスナーを増やして承認欲求を満たしたい
VTuber④:そのためリスナーからお金を受け取る。お金を出したリスナーには承認を与える
リスナー②:お金を払ったリスナーは強く承認され、他のリスナーと差をつける
リスナー③:差をつけられたリスナーは不満になる
リスナー④:リスナー間で競争が始まる
●VTuber②, リスナー①
お互いに承認を与え合う、幸せな時間。
VTuberは「見てもらえること」によって承認され、リスナーは「名前を呼ばれる、チャットを拾われる」ことで承認される。
●VTuber③~
金銭が絡むことにより、お互いの関係に変化が起こる。
リスナー内に階層が生まれ、勝者と敗者に分かれ、誰にとっても幸せな時間は終わる。
VTuberの承認の正体
VTuberの承認の性質
リスナーがVTuberに「承認されたい」と思う欲求の正体は何だろうか。
『「認められたい」の正体』(山竹伸二)では、承認欲求を3つに分類している。
- 親和的承認:愛情と信頼の関係にある他者からの承認。家族、恋人、親友
- 集団的承認:所属する集団からの承認。学校や職場。仲間、役割、ライバル
- 一般的承認:不特定多数の他者からの承認
しかし、VTuberからの承認はこれらにはうまく当てはまらない。
では、VTuberからの承認とはどんな性質だろうか。まとめると以下のようになる。
- VTuberは「魅力・人気・注目」をまとった、価値の高い存在
- リスナーはそこにいるだけで認められる。親しげに挨拶してもらえる(一見、親和的承認のように見える)
- リスナー同士の交流はほぼなく、VTuberとリスナーの1対1の関係。その1対1の関係がVTuberを中心としていくつも存在する(集団的承認ではない)
特徴は「VTuberは憧れとなり、耀いて見える価値の高い存在」だということだ。このような価値の高い存在は、他に以下のようなものがある。
- 新興宗教の教祖
- ゼミの人気教授
- 高嶺の花の美人同級生
- オタサーの姫
この価値の高い存在から承認されることで、強い承認となる。
擬似的な親和的承認
さらに重要なのが、「そこにいるだけで認められる」「親しげに挨拶してもらえる」という親密さだ。ここまで親密に接してくれる人は現実の人間関係にはそうそういない。
このため、VTuberからの承認は親和的承認だと勘違いしてしまう。
しかし、これは親和的承認ではない。VTuberとリスナーはお互いの素性も知らず、「愛情と信頼の関係」にあるとはいえないからだ。
ではこれは何なのか。キャバクラやホストが他人である客と親しくするのと同様の、擬似的な親和的承認だ。親和的承認に見せかけた、別なものだ。
無自覚な承認者
ではVTuberがこれらの承認や競争といったことを意識して行っているのか、「自分は擬似的な親和的承認を売っている」という自覚があるのかというと、ほとんどのVTuberは意識していないだろう。
これらの仕組みをVTuberの側から見るとこうなる。
- 最初は配信にリスナーが来てくれるだけでうれしい → 本心から親しくする
- スパチャをもらうとありがたい → お礼を言う
- スパチャするリスナーと、それ以外のリスナーへの対応に差が出るのは当然だ
VTuberとしてみれば、ただ楽しく交流し、お金を貰ったらお礼を言うという、当たり前のことをしているだけだ。しかし、それをリスナー側から見れば、「スパチャしなければ承認されない」という強迫観念を植えつける原因になる。
多くのVTuberはそのことに気づかず無自覚に承認を与えている。その結果、競争が生まれ、コミュニティが殺伐としてしまう。
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